時間泥棒の思い出

アイドルヲタクがツイッターでは文字が足りない時に書く独り言です。あなたの貴重な時間を泥棒します。

居場所がなくなったサッカー部 - 前編

もともとは私は体がとてもとても弱い人間だった。

そのため、幼稚園の頃なんかはしょっちゅう病気になって毎週のように病院にいっていた。

 

体が弱いくせに目立ちたがり屋ですぐに人と違うことをして注目を集めようとしていたので、よく喧嘩(一方的に負ける)をして泣いていた。

 

そんな私をなんとかしようとしたのか、親は私をスポーツ少年団の野球クラブに入れた。

当時私も野球を見るのが好きで、プロ野球チップスを集めたり、ヤクルトスワローズの帽子を必ずかぶって遊びに行ったりしていたくらいだった。

 

しかし、残念なことに私にはセンス×という特殊能力がついていた。

同じ時期に始めた子に比べて圧倒的に野球が下手くそだった。

 

キャッチボールをしたら暴投、バットを振っては空を切る、守ってもすぐにエラー。

フライが顔面にあたって泣いたりなんてことは日常茶飯事だった。

しかも体力もないので練習にもついていけず、毎日毎日コーチになんでこんなこともできないんだと怒られまくっては泣いていた。

 

そんな日々に耐えられなくなって野球を続けるのが辛くなってしまいやめてしまった。

あんなに大好きだった野球をみるのも嫌になるほどだった。

 

もうスポーツはこりごりだと思っていた私だが、この後サッカークラブに入ることになる。

 

なぜかというと私が住んでいる地区の男がほぼ全員サッカークラブに入っていたのだ。

そうすると休日に遊ぶ友達がいなくて恐ろしく暇だった。

 

サッカークラブがない日は一緒にスーパーファミコンで遊んでくれる友達も、サッカーがある日は遊んでくれない。なんだか仲間はずれになった感じがして嫌だった。

 

そんなこんなで、みんながサッカーを初めてから結構時間が経った頃にいやいやサッカークラブに入った。

 

サッカーを始めたばかりの頃は、ほんとうにひどいものだった。

始めたばっかりでキャリアが浅いというのにくわえて、運動神経がめちゃめちゃ悪かったのだ。

ボールも全然蹴れない、走りは遅い、すぐバテる、なにをやってもダメダメだった。

もちろん試合には全然出してもらえず、ポジションはフォワードでもディフェンスでもなくベンチという感じだった。

 

練習はついていくのがやっと、年下の自分よりサッカーが上手い子に下手くそとバカにされ、 本当に惨めで家に帰ってから泣いたり、練習に行きたくなすぎてゴネたりしていた。

そんな状態でも、仲間はずれになるのが嫌だったのでやめずにしばらく続けていた。

 

しばらく続けていると、変化があった。

最初はついていくのがやっとだった練習に、余裕がでてきた。

そして、ものすごく遅かったダッシュもそこそこ早くなってきた。

ボールも遠くまでけれるようになってきた。

 

なにより一番うれしかったのは、たまに試合で使ってもらえるようになったことだ。

これが本当に本当に嬉しかった。

 

試合に出て活躍するという目標ができて、練習もより一生懸命やるようになった。

するとどんどんサッカーがうまくなった。それだけではなく、足も早くなって体力もついた。

 

いつのまにか小学校のリレーの選手に選ばれ、マラソン大会ではメダルをもらえるほどに身体能力が上がっていた。

体が弱く病気がちだった虚弱体質少年が、いつのまにかスポーツで目立てるまでになった。

 

このときは本当にサッカーを始めてよかったと思ったし、おとなになった今でもあのタイミングでサッカーを始めて本当に良かったと思っている。

 

ちょっとずつできるようになって楽しくなったサッカー。

あんなにいやだったサッカーが、いつのまにか好きになっていた。

 

野球は途中でやめてしまったけれど、サッカーは小学校を卒業するまで続けることができた。

 

中学生になると、学校のきまりで必ず部活に所属しなくてはならなかった。

私はもちろんサッカー部に所属することにした。

 

そしてそのサッカー部をやめることになる。

 

続く。